「国語が苦手なんです・・・」
保護者の方が我が子の
国語の習得状況を表すときに
よく使う言葉です。
この言葉が意味しているのは
「国語のテストで点数がとれない」
ということだと推察しますが、
これを解決するには一筋縄ではいきません。
「国語が苦手」と一口に言っても、
その原因は多岐にわたります。
- 国語の問題の解き方を知らない
- 国語の問題を答え方を知らない
- 言葉の意味が分からず、問題文を読みとれていない
- 問題文の論理構成を把握できず、読みとれていない
- そもそも一文を読みとる力が備わっていない
- 漢字が読めていない
といったようなことが原因に挙げられます。
さて、
『文藝春秋』11月号に「高校国語から「文学」が消える」
と題した文章が掲載されました。
筆者の人は、
- 大学入試は国語に記述が加わるが、読まされるのは駐車場の契約書や交通事故のグラフ
- 高2・3年では「論理国語」「文学国語」のどちらかしか選択できず、ほとんどの高校は「論理国語」を選択すると予測
以上の2点から、「文学が消える」と題したようです。
この文章の筆者の結論は、「真の読解力」が求められるのに、
それを無視した国語改革はナンセンスだというものです。
筆者の結論はさておき、
契約書やグラフのような「実用文」を題材にして
生徒に勉強をさせようとしているのなら、
確かに改革としてはお粗末な印象を受けます。
ただ、「論理国語」という科目を設定したくなる気持ちも分からなくはありません。
なぜなら、わたしも「国語が苦手」という子どもたちが、
論理的な読解ができないのを見ているからです。
しかも、そういう子はもれなく論理的な表現もできません。
しかし、本当に論理性を獲得させたいのなら、
「論理国語」を小学校のうちから始めた方がよいと思います。
こんなこと言っても詮ないことですが、
今の小学校の国語の授業を「論理を獲得するための国語」と
「今までの国語」とに分けて授業時間を増やし、
まずは自国の言葉を豊かにすることを考えたらいいのになと思います。
論理的な表現を身につけることができれば、
夏休みの読書感想文で粗筋をだらだら書き連ねるようなことも少なくなるでしょう。
とは言え、こんなことを呟いていても、
何の解決にもなりませんので、
いつかどこかで、論理性を獲得するためにするとよいことを
紹介していこうと思います。