理系の石川先生と話していてよく話題に出るのは、
数学の文章題の問題を解けるように、
生徒の読解力を上げたいという話になります。
数学の問題文が読み取れていないことで、
式を立てることができず、
問題が解けないというわけです。
しかし、
この読解力という言葉は曲者で、
私は純粋な「読解力」という力は存在しないと思っています。
何らかのいろいろな能力の総称として、
読解力という「力」として見えるものがあるのだろうと思うのです。
では、そのいろいろな能力には
一体どういったものがあるのでしょうか。
列挙を試みます。
・漢字、熟語が読める
・(その文脈における)言葉の意味が分かる
・一文の意味を読み取れる
・文と文のつながりが分かる
・文章の構成を理解できる
以上のような要素が
読解力と呼ばれるものには含まれているのではないかと思います。
但し、ここに挙げた読解力と呼ばれる力の性質は
かなり限定的と言わざるを得ません。
なぜならば、学校制度の中の国語で「読解力」と言う場合は、
テストの点数をとるための
・問題文の解き方を知っている
・解答の仕方を知っている
という力までを含めるでしょうし、
アクティブ・ラーニングや一般に読書と呼ばれる中では
・自分の問題意識に結びつけて本を選定できる
・自分に適した本を見つけ出せる
・本から本へ移動できる
という力を読解力に含めてもいいと思います。
いきなり脇道に逸れてしまいましたが、
今回の記事では文章を読んでいく姿勢、考え方を1つご紹介したいと思います。
石黒圭という方が著した『文章予測』という本があります。
石黒さんは、外国人に対する日本語教育、
日本の子どもたちに対する国語教育、
日本の大人に対する言語教育という様々な経歴を通して、日本語を研究している方です。
石黒さんは、この著書の中で「予測」という言葉を使っています。
この本の中で予測というのは、
「今読んでいる本を通して感じられる理解のモヤモヤを、
その後に続く文脈で解消しようと期待する読み手の意識のこと」
と説明しています。
つまり、「予測」という言葉からイメージする
「小説の結末を予測する」というような
結末や正解を想像するという意味ではないわけです。
例えば、「わたしはこれまで2つの大きな挫折を経験しました。」
という書き出しで文章が始まっていれば、
「どんなことがあったんだろう?」
と思いながら続きを読み進めると思います。
この「どんなことが〜」が「予測」なのです。
予測は文章を読み進めていく上で、
文章を主体的に、またはアクティブに読んでいく
姿勢、態度、思考のパターンのことだとわたし(足立)は理解しています。
予測をもう少し別の言葉でいうと
「今読んでいる文から、この先がどのように進んでいくのかという疑問を持つこと」
と言っても間違いではないでしょう。
(アクティブ・ラーニングの基礎になる手法でもあります)
わたしは文章を読む上で、この予測がかなり大切だと思っています。
理由は、予測が、文章への積極性を生み出す点にあります。
恐らく多くの生徒たちは文章を読む際、
あまりにも受動的にその文章に向かい合っています。
それは、学校が制度として君臨する弊害とも言えますが、
次から次へとやってくる大量の情報を効率よく処理していかなければ、
生徒たちは定期テストで良い成績を残すことができません。
だから、
「これはなんでこうなっているんだろう?」と疑問を差し挟む余地はなく、
受動的だと言われようが、効率を求めるほかありません。
受動的に本を読むことは、
あたかも全校集会で校長先生の話を
ただ立って聞いているだけのような状態です。
もしその全校集会が座って聞くようなものであったら、
生徒たちは間違いなく眠ってしまっているでしょう。
この受動的な姿勢を解消し、
同時に能動的に積極的に文章読んでいく道具となるものが予測です。
予測の基礎となるのは「疑問に思う」ということです。
疑問に思うということは、興味・関心を持つこととほぼ同義です。
ぜひ、「予測」を読解の中に取り入れてみてほしいと思います。
効率に支配され、人間性を排除された事務処理思考から脱し、
一人一人が興味・関心を持てるような人に育ってほしいと願うばかりです。
そして、それが可能となる環境も逸早く整備されることも同時に願います。
石黒圭(2017)『文章予測』、角川ソフィア文庫