「正解」と呼ばれているものの正体

わたし(足立)が生徒に物事を教えていて、
頭の痛い思いをすることがよくあります。

それは、子どもたちが教えられたことを素直に覚えようとする姿勢です。
「え?」と保護者の方は驚かれたことと思います。
「素直でいることはいけないことなのか?」
と反射的に思われたかもしれませんが、
最初に申し上げておくと、素直でいるのがいけないということはありません。
素直でいることは成長に欠かすことのできない大切な要素です。

そこを否定するつもりは全くなく、
むしろ子どもたちが素直すぎることが、
将来子どもたちが生きていく力を阻害することにはならないか
というわたしの中の引っ掛かりなのです。

どういうことか、例を挙げて説明をしていきたいと思います。
日本に住んでいる多くの子どもは学校に通います。
学校では、教室で先生が前に立って何かを教えてくれます。
子どもたちは、先生の教えてくれる内容を理解したり、覚えたりします。

これはどこにでもある日常の学校風景です。
しかし、この風景には当たり前になりすぎてしまっていて、
見えなく(気づけなく)なってしまっているものがあると思うのです。

その一つが、「○×をつけるテスト」との向き合い方です。
学校では、先生の言っていることを正しいこととしてテストが作られます。
教科書に書いてあること、または先生が言ったことがテストでは正解となり、
それに沿わない考え方にはバツがつきます。

「バツ」は正解ではないことを表し、
不正解の解答にはバツを付します。
これは余りにも当たり前のことであり、
疑問を差し挟む余地はありません。

 

しかし、少し考えてみて下さい。
「正解」「正しい答え」って、一体何でしょうか?

学校の先生は人間です。
先生は多くの知識を持っています。

では、その先生は、
その知識をどこから得たのでしょうか?

きっと、人の話を聞いたり、
本を読んだりして知識を得たのでしょう。

人から話を聞くということは、
その話をする人も人間です。
きっとその人も、
誰かから話を聞いたり、
本を読んだりして
勉強したのでしょう。

では、本はどうでしょうか?
本は誰かが書かないとできません。
ということは、人間が書いたわけです。

教科書だって、
本屋さんで売っている本だって、
書いた人がいます。

では、その人は一体どこから知識を得て、
本を書いたのでしょうか。

こうやって元を辿っていくと、
観察や実験などの体験によって、
「これってこうなっているんじゃない?」
と発想、発見、発明した人にぶつかります。

その人は、
自分のアイデアをいろいろなところで喋ったり、
本を書いてそのアイデアを広げたりします。
知識のスタートはここにあります。

ということは、
最初は誰かのアイデア(考え)だったわけです。

「わたしは○○と考えました」「○○だと思います」
という主張・考えを、いろいろな人が詳しく調べ、
「どうもそうらしい」ということになると、
それが一つの考え方として多くの人に受け入れられていきます。

この「多くの人に受け入れられた考え」が、
今学校で「正解」と呼ばれているものの正体です。

しかし、「多くの人に受け入れられた考え」は、
時代とともに誤りであることが判明することもあります。
また、「こういう考え方もできるんじゃない?」と
考え方が広がっていくこともあります。
更に、「こっちの方がいいんじゃない?」と
改められることもあります。

 

このように、一つの考えは様々な形に変化していきます。
この変化の流れの代表例が、鎌倉幕府の成立時期に関する問題です。

「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」で覚えた人が保護者の方の中には多いと思います。
しかし、近年の教科書では、「1192年に鎌倉幕府が成立した」とは書きません。

それは、歴史学者の中で、
「何を根拠に鎌倉幕府が成立したのか」
に対する意見が分かれるからです。

1180年に成立したと見たり、
1185年に成立したと見たり、
1190年に成立したと見たり説は様々です。

大切なのは、どれが「正解か?」ではなく、
「なぜ」その年が成立年と言えるのか、
そしてどれが適切だと判断するのか、
というその問題に対する疑問を持って取り組む姿勢です。

鎌倉幕府の成立年の他にも、
生徒たちが定期テストで苦戦する「国語の文法」が挙げられます。
文には主語と述語があり、動詞には五段活用と下一段活用と・・・
というアレです。

学校で習う文法は、
正確には「学校文法」と呼ばれます。
そして学校文法と言ったときに、
それは橋本文法のことを指します。

橋本文法とは、
橋本進吉(しんきち)という人が考案した文法のことを指します。
つまり、学校文法は橋本さんが考えた一案だったのです。

それを知っていれば、
国語の文法が分からないと言っている子どもたちにも、
少しは優しい気持ちになれます。
(もっと言えば、実は、橋本文法は、現代の情勢になじまなくなりつつある側面もあるのです!)

英語にだって、数学にだって、理科にだって、
上に挙げたような一案が、また仮説が、
テストで「正解」として採点されます。
だから、お子様のテストの点数がよくないからと言って、
あまり不安にならないであげてほしいと思います。

時代とともに正解は移り変わり、
大人になったら、子供のときに身につけた知識は、
「○○と考えられていた時代もあった」
と百科事典などに書かれているかもしれないのです。

正解の見えない時代だからこそ、
正解を見つける練習ではなく、
正解を作り出す、または正解かどうか分からないけど仮説を立てるという練習を、
学習を通して身につけていってほしいと思っています。


コメントを残す